アドバンスケアプランニングの勉強会で涙を流した理由
先日のアドバンスケアプランニングの勉強会では、はずかしながら、涙をこぼしてしまいました。
祖母の最期を思い出したからです。
祖母は、3年前に亡くなりました。末期のすい臓がんでした。
見つかったときは、すでに90歳でしたから、寿命といえば寿命です。
病院では出来ることがないということでしたので在宅で看取りました。
そのことは素敵な思い出です。
涙がこぼれたのは、後悔からです。
祖母と最期の過ごし方について、きちんと話ができていなかった後悔です。
祖母にがんが見つかったとき、私たちは正確な病状を伝えませんでした。
がんはがんだけど、治るがん。大したことがないがんだよ、と言っていました。
そのため、祖母は、最期まで、自分の病気を知らずに亡くなりました。
それは確かに、祖母の希望(重病だったら知りたくない、告知はしないでほしい、と問診票に記録していました)通りだったのですが、本当にそれが正しかったのか。
私はずーとそういう思いにさいなまれているのです。
そのことがよみがえり、勉強会では涙がぽたぽたこぼれました。(きっと変な人に見えたと思います)
後悔は、もし祖母が自分の最期を知っていれば、身辺整理がきちんとできたのではないか、とか、最期の時を知らせていれば、本当の気持ちを周囲伝えたりできたのではないか、とか、そんな気持ちです。
実は、祖母がなくなってから、荷物の中から、手書きのメモがいろいろと見つかりました。
「ノート」に書かれていたのは、周りの人への感謝の気持ちでした。
それとは別に、いつも持ち歩いていた薬袋の中からメモが見つかりました。
新聞に入る広告用紙がありますよね。あの広告の裏が白紙の部分に、震えるような文字で書かれてました。
「かなしい」「くるしい」「さみしい」そんな言葉がたくさん。
祖母は苦しんでいた。
でも、私たちが必死でうそをつきとおしたから、震える気持ちを言い出せずに、逝ってしまったのではないか。
時折襲ってくる悲しみをだれにも打ち明けられず、そのへんにある紙に気持ちを閉じ込め、なんとかやり過ごしたのではないか。
もし、あの時、勇気をもって本当のことを伝えていたら、一度は奈落に落ちたかもしれないけれど、「つらい」と吐露する祖母と一緒に泣いたり、これまでのことを語りあったり、終わっていく幸せをかみしめたり、そんなことができたのではないか。
けれど、私たちは、ずっとうそをついたんです。
私は当時、祖母の家からすれば、飛行機と新幹線を合わせても5時間以上かかるところに住んでいましたが、頻繁に帰りました。ふつうに考えてただ事ではないのに、ふつうを装い、笑顔を向け続けました。祖母もいつも笑顔で迎えてくれました。それは、残酷なことではなかったのか。
アドバンスケアプランニングのお話を聴いていて、そのことを思い出し、涙を抑えることができなかったのです。